るっくばっく!

歴史上の人物について☺️✨

むかちんpresents:若き天才『モードの帝王』イブ・サンローランの歴史

こんにちは、こんばんわ😊✨

むかちんです🌸✨


本日は、ファッションの歴史-ver8-



イブ・サンローランの歴史について、

紹介します😚✨




イブ・サンローランは、

1936年にフランス領のアルジェリアで保険会社に勤める両親のもとで生まれた比較的裕福な中流階級の子供でした✨



17歳でパリに移住し、

パリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュール ファッションデザイン学校に入学します😊✨




すでにこの頃から非凡の才能を発揮しておりました✨


3ヶ月のコースが終了する頃に行われたIWS主催のデザインコンクールにカクテルドレスを応募し、最優秀賞を獲得しました✨



しかも、このカクテルドレスを縫製したのは

ジバンシィで、


コート部門の受賞者は

あのフェンディ、シャネルで皇帝とまで呼ばれるようになったカール・ラガーフェルドだったのです😊✨




そして、このコンクールがきっかけで

VOGUEのディレクターだった

ミッシェル・デブリュノフが


イブをクリスチャン・ディオールに紹介しました🌸✨



これが、イブサンローランと、

ディオールとの出会いとなったのです。




ディオールはイブの才能に感銘を受け、すぐに後継者として育成を始めました☘️



1954年にクリスチャン・ディオールに入ったイブですが、


3年後にはクリスチャン・ディオールが急逝してしまったため、


1958年、若干21歳という若さでクリスチャン・ディオールという


当時は飛ぶ鳥を落とす勢いであった巨大メゾンの主任デザイナーとなってしまったのです🎶



21歳での、ディオールでの主任デザイナー!


普通なら重圧に押しつぶされてしまうような中、


イブは「トラペーズ」ラインという、スカートの裾のラインがちょうど膝にかかるくらいの台形のデザインを発表し、


翌日の新聞には

「イヴ・サンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続きます」

といった見出しが踊るなど大好評を博し、さらにニーマン・マーカス賞を受賞するほどでした✨




しかし、栄光は永くは続きませんでした。


イブに対する、嫉妬により、

イブは、徴兵に行きます🌸✨


イブは軍隊内のいじめなどもあり、心を病み、精神病院に収容されるまでに弱り果ててしまったのです✨



1961年に恋人ピエール・ベルジェと自身のメゾンである「イブ・サンローラン」を設立することが出来ました。

資金面での苦難もありましたが、アメリカの実業家マック・ロビンソンの援助もあって乗り切ることができています。


そして、ここから若き頃から天才と呼ばれ、「モードの帝王」となったイブ・サンローランの快進撃が始まります。